意見・異見

 粉飾を前提とした経営分析

 

 人には固有の特徴を持った肉体が厳然と存在し、生まれながらにして人格が与えられ、権利・義務の主体になる。一方、会社は概念としての存在であるが、法律によって法人という人格が与えられ、人と同じように権利・義務の主体になれる。従って会社は人を雇用し、商品を買い・売り、そして金を借りる事も貸す事も、物を所有する事も出来るのである。

 しかし、年商数兆円の大企業であろうと、数百万円の零細企業であろうと、社名・事業内容・本社事務所・社長・社員・決算書、その全てが会社という概念を構成する一瞬の一要素にしか過ぎない。それらは時間の経過や放置によって変化し、または簡単な手続きや意図によって自由に変更され、原形と全く異なる事も、跡形もなく消え去る事も、実態と異なる表記をする事も容易に出来るのである。

  決算書は経営の成果を表す成績表である。この成績表は自分(自社)で作成するものであるが、その成績表によって株価や税金・経営者の収入が増減するのであれば、成績表を自分(自社)にとって都合のいい内容にする事は、自然な成り行きである。これは会社の規模や上場・非上場、健全企業・悪徳企業を問わず同じである。

 決算書の粉飾については法律や規則によって規制され、罰則もある。上場廃止や倒産、損害賠償の責任を問われる等の事件も発生している。しかし、一向に無くなる気配はない。これは、法を犯してでも行う程の魅力がある証といえる。

 時に会社の資産だけでなく、個人財産の全ても失うというリスクを抱えた中小企業経営者は、企業を維持し、仕事と社員の生活を守る事の大命題に対して、自社にとって都合の良い決算書を作る事(粉飾)に合理性と必然性さえ見出している。そして、粉飾決算によって生きながらえている企業も多く存在するのである。

 粉飾は人間の本質に根差したものであり、表面的な規則やモラルで根絶するのは困難なのである。よって粉飾の根絶に無駄な労力を費やしたり、粉飾があるから正確な経営分析が出来ないとするのではなく、粉飾の存在を前提とした経営内容の把握やリスクの評価が必要なのである。

 

2018/3/23 高市幸男

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